会長挨拶  会長L島倉 淳

さて本日から愛陶工での例会がスタートします。新しい場所で気分も変わりお食事などもメリハリをつけ、楽しい例会運営して参りたいと思いますので宜しくお願いします。

去る2月5日に第3回目の6R/2Zガバナー諮問委員会が開催されましたのでご報告致します。

先ずは会員増強です。昨年の12月にガバナーより緊急非常事態と言う表題で「会員増強・維持に関する緊急のお願い」と言う案内が届きました。今年度の334-A地区の期首の会員数は6.310名に対し、純増目標10%にあたる631名を増やす計画において、上期で増えた会員は86名で、目標に対し達成率が13.5%と言う厳しい状況です。ちなみに我々2Zの状況は、尾張旭LCが純増5名で大健闘。次いで春日井LCが+-0、次いで瀬戸LCは-1名、春日井けやきLCが-2名、春日井さくらLが-3名。春日井中央LCが-7名です。

続いての議題は、LCIF献金についてです。現在LCIFは収入よりも支援に拠出するお金の方が上回っており不足傾向にあるとの事です。我が6R2Zの状況は、100$献金も含めまして春日井LCが15.000$、次いで瀬戸LCが12.000$、春日井中央が10.000$、尾張旭LCが9.000$、春日井さくらが5.000$、春日井けやきが12月末時点では0$です(注:春日井中央LCと春日井けやきLCは1月と2月にまたがり集める)

以上2点が諮問員会の主な内容ですが、昨今強く感じる事は、上層の執行部側のお考えと各クラブの実態が大きく乖離している事です。今後は理想と現実のギャップを少しずつ埋めていく為にも、トップダウン型からボトムアップ型の組織運営に変化する事が重要かと思います。本日は第二副会長を拝命されたL水野忠治からスピーチを頂きます。楽しみにしております。

  スピーチ 「私の自己紹介」  (資)鐘忠陶器 代表社員 水野忠治

今日は、昔のよく儲かった話をします。今でも、堀部さんとその頃の良く儲かった話をするわけですが、まずは、出身は、もちろん瀬戸市でして、道泉小学校、本山中学校、名古屋市西区の名古屋西高校、それから、立命館大学経済学科、大学に入ってからは、しばらく授業がなかったのにはびっくりしました。というのは、そのころ、学生運動が真っ盛りで、やれ共産党だの民生だの、全教闘だとか、マルクス・レーニン主義だとか、わけが分からなくて、世間知らずで世の中のことをもっと知らなくては駄目だとショックを受けたものです。

当時バスケットボール部に入りまして、あまり強くなかったですが4年間やりました。そして麻雀とかボーリングとかスキーとか友達とよく遊んで、特に3年生の時に、あまり勉強もしなかったので、単位が取れず、4年生の時に4年間で一番勉強しまして、なんとか留年しなくすみましてホッとした次第です。

立命館大学をなんとか留年せずに卒業して、鐘忠陶器に入る前の修行として、3年間つとめる約束で名古屋の笹仙洋食器に就職しました。この頃はバブルの絶頂期で、喫茶店やレストランがバンバン開店していました。そこに食器や厨房器具を納めていましたが鐘忠陶器とは比べようもないぐらいの売り上げです。なんとか、鐘忠陶器にも参考にしてプラスになるよう頑張りました。そして3年経って鐘忠陶器に入ったわけです。鐘忠陶器は私が3代目で、その前は洞の窯焼きでして、私が生まれる前に亡くなった、お爺さんが窯焼きをやめて陶器の行商を始めました。父親は、その行商先の京都府綾部市で生まれたようです。その仕事とは、例えば、記憶がある範囲では四日市の商店街の空き地を借りて、そこで雨ざらしの店を構え大きな炊事付きのテントで寝泊まりして、四日市の人に陶器を売る、といった商売です。2等品を安く売って、よく売れて、ここで初めての1回目の儲かったようです。その時は、山銀堀部商店でよく仕入れたようです。産地直売ですので現金が入り、いつも「ニコニコ現金払い」で、信用を得たようです。それから特に2回目の儲かったのは、だれよりもいち早く北海道に出向き、本土で売るより3倍くらい飛ぶように売れたそうです。そして「これからは車社会になり、瀬戸に車で買いに来てくれる、瀬戸の一等地にに店を構えよう」とその儲かったお金で窯神橋の角に店を構えました。父親の先見の明があたり、またバブル経済もあり、また陶器がもてはやされる時代であり、飲食店のオープン、その開店の景品、法事・結婚式の引き物、結婚して新居のための食器一式、この頃は、5客ぞろいがあたりまえでした。せともの祭りも今の3倍売れました。大変忙しくよく働きました。そして3回目の大変儲かりました。もう一つの大きな転機が、尾張瀬戸駅周辺の再開発、窯神橋の角(今のパルティせと)から今のところに移転しました。お陰様で今のような大きな店舗にすることができました。引っ越しやら、店のレイアウトやらで10キロぐらい痩せた記憶があります。新店は大繁盛しました。その時期に合わせ父親から私への社長交代の時は、1年で儲かった利益を税金にあてずに退職金としました。4回目の儲かった話です。そして、2015年、移転して8年目に愛知万博がありました。尾張瀬戸駅は万博の一番の交通拠点とゆうことで尾張瀬戸駅周辺は瀬戸川の修復、道路の拡幅、瀬戸蔵・パルティせとの建設、各店舗の建て替え。町中がどこを見ても工事だらけでした。ところが、万博はオオタカの問題で長久手にいってしまいました。だけれども全国から何千万人もの人が万博に来ますので、その何パーセントでも瀬戸に来てくれれば5回目の大儲けと喜んでいました。どこまで入れ込んだと言うと、万博帰りに寄ってもらおうと、まだ8年しかたってないのに店舗の外壁の塗装を一新してきれいしました。ところが、ところが、大誤算でした。いざ、蓋を開けてみると万博のお客さんが来ないどころか、みんな万博にいって普段のお客さんも少ないといった有様でした。こうも陶器が魅力がないのかなとガックリしたものです。頭にきて、万博に行きまくりました。何回も行って分かりました。万博は楽しい。時間がいくらあっても足りない。あきらめました。

鐘忠陶器の現在は、バブルの時代の3分の1の売り上げです。しかも、楽天の通販をいれての売り上げです。今では、長男が後を継いくれていますが、儲かった話はあまりありません。厳しい時代ですが、鐘忠陶器をつぶさず、共に頑張っていきたいと思います。今年の5月ぐらいに社長を息子に代わって、会長になろうと思っています。会長といえども、息子の都合のいいように使ってもらえば幸いと思っています。昔の儲かった話、ご清聴ありがとうございました。

 

 

<お祝いの会>

今年度(当クラブはライオン年度で賀寿祝いを行っております)賀寿対象ライオンにお祝いの記念品を贈呈しました。

卒寿(90歳)L長江幸彦

傘寿(80歳)L長江延郎

喜寿(77歳)L堀部安昭・L岩本哲男・L飯野武彦

古希(70歳)L梅村晴峰・L水野忠治

平成31年瀬戸市功労賞を受章されましたL栗田亦介へ記念品の贈呈