会長挨拶    瀬戸LC第58代会長 山辺一彰

いよいよ師走です。7月から始まり半年過ぎ様々な事業を各委員長には進めて頂いており感謝致します。先日は道の駅瀬戸品野にて献血活動をしました。献血会場としては初めて開催した場所で目標は下回りましたが、新規会場にチャレンジ出来た事は良かったと感じております。また、交通安全総決起大会にて瀬戸警察署に懸垂幕を贈呈しました。年末に入り皆さんも何かと忙しくなりますが、この標語にあるように「瀬戸のまち 心おだやかに ゆずる道」を心掛けお過ごしください。本日のスピーチ11月第一例会に引き続き「私の自己紹介パート2」をL加藤律也にお願いしてあります。貴重なお話と資料をお楽しみください。

 

「私の自己紹介パート2」     L加藤律也
前回は最後の登り窯の映像を上映させて頂きました。今回は現在までの私の歩んだ人生を皆さんの前で簡単にお話しさせて頂きたいと思ってます。10月末日をもって丸窯加律製陶株式会社を以前から取引があったヤマキ電機株式会社に買ってもらいました。私は1年顧問として会社に残り、おこずかいを頂いて生活します(笑)。私がライオンズクラブに入会したのは1980年5月です。結成20周年の年度で当時会員は100名を超しており、この会議所のホールが満員になって食事する場所も一苦労するような状況でした。在籍37年になりますが、あんなに多かった会員が年々減少していく理由の一つとして感じた事は、友達がない人だと思います。当時は厳しい先輩ライオンが多く、よく怒られた事を今でも思い出しますが、私はお陰様で厳しい先輩もありましたが可愛がってくださった先輩や友達に支えられ現在も会員の一人として在籍させてもらってます。今年度のクラブメインアクティビティの「会員増強」。やはり会員が多くドネーションが集まらなければ大きなアクティビティは出来ません。今年度は2名の新入会員を紹介させて頂き、年末家族会には入会見込みの方1名と参加させてもらいます。
話は変わりまして私が学生の頃の話です。当時高校を卒業して東京芸大を受験しました。景気が良かった瀬戸の窯焼きの息子として仕事を手伝っていたので実技は合格。しかし学科で不合格。次に金沢美大を受験しましたが、これも実技は合格しましたが学科で不合格となり京都にあります国立の試験場で3年間勉強しました。清水焼の窯元に2年お世話になり実家である瀬戸に帰りました。 当時は瀬戸の町には煙突が1300本近くあり、石炭窯からモクモクと煙が上がっていましたが現在では燃料もガスに変わり煙突も煙も無くなり瀬戸の町で作っていた「茶碗」も現在では製造している会社も少なくなりました。当社は碍子や医療用で使用する歯科用洗面台などを製造しております。
以上で私の自己紹介とライオンズの昔話をお話しさせて頂きました。先日事務局さんの了解を得て会費を一年分先払いさせてもらいましたので、今後共宜しくお願い致します。