会長挨拶       瀬戸LC第58代会長 山辺 一彰

皆さんこんにちは。不安定な天気がつづき、台風も近づきインフルエンザも流行ってきています。今一度体調管理に気をつけて下さい。
本日は、L加藤律也のスピーチです。「瀬戸の丸窯パート1」と言う事で、瀬戸で一番大きい登り窯の映像を上映して頂きます。パート1と言う事はパート2もありますので皆さん楽しみにしていて下さい。

「私の自己紹介」
L加藤律也     丸窯加律製陶所株式会社 代表取締役

瀬戸市で一番大きな登り窯があった丸窯を日本大学藝術学部が当時の8ミリで撮影した映像を本日上映させて頂きます。次回「パート2」で私の人生をお話しさせて頂きます。

上記写真はL加藤律也の実家「丸窯」の映像より
昭和初期の瀬戸市内は多くの煙突があり黒い煙は、あちらこちらから出ており、当時の経済の発展の象徴でもありました。次第に燃料が薪から重油やガスを使った窯が開発され登り窯がなくなっていきました。

登り窯の構造  連房式登窯はたくさんの部屋で構成されています。各部屋に出入口があり、製品を出し入れします。窯詰が終わるとダンマ(築窯に用いるレンガの一種)で出入口をふさぐが、この時出入口の一部を残し焚き口を設けておく。この両側に設けられた焚き口から1.8m位のコワ(丸太から角材を製材するときに出る端切)を室のミゾ部へ投入し、燃焼させます。松葉の場合は小束にしてサスマタを用い中央部へ投げ入れて燃焼させました。部屋で焚かれた焔は、一度天井に上って、ついて障子に沿って床まで下がり、穴を通って上の部屋の「アゼ」(床面の穴)へ吹き上がるようになっています。一週間から一ケ月連続して焼く。燃料は薪。登窯での窯詰めは1~3室まではさや詰め(保護容器入り)、4室以上は棚積みで行なわれることが多い。
== 愛知県陶磁資料館・瀬戸蔵ミュージアムより  ==